
大阪市の歴史や地理などについて簡単に紹介。
大阪市の歴史 - 近代(明治 - 第二次大戦)
明治時代から昭和時代初期は、政府が造幣局や砲兵工廠を置き、金属工業や繊維産業を中心に商社・卸売・新聞など様々な商工業が発展し「東洋一の商工地」と称され、多くの企業が勃興した。メセナが活発に行われた「阪神間モダニズム」と呼ばれた時代には、六大都市の1つとして日本の中心の1つとなった。特に関東大震災後には、周辺の東成郡・西成郡全域の編入と東京からの移住者も加わって大阪市は、1932年の東京市の市域拡張までの間、日本最大の都市となり、世界でも第6位となった。そのため、「大大阪」と称されたこともあった。しかし、昭和10年代より政府が戦時統制を敷き、文化・芸術・教育・産業その他あらゆる分野の中枢を東京に集めたことで、[要出典]相対的地位は低下していった。
・1868年 - 明治新政府が大阪府を置き大坂市街地を管轄させる。川口に外国人居留地設置(川口居留地)。
・1869年 - 大坂三郷を再編し、大坂市街地が東大組、南大組、西大組、北大組の4大組に分割される。
・1873年 - 岩崎弥太郎が三菱商会(後の三菱財閥)を西大組西長堀南通に設立。
・1875年 - 大区小区制施行により、4大組が第1大区、第2大区、第3大区、第4大区の4大区となる。
・1879年 - 郡区町村編制法施行により、4大区が東区、南区、西区、北区(旧)の4区となる。
参考:区の設立は上記のように大阪市より10年古い。しかし、市制施行後も区は法人格を持ち、区議会(正式には区会)をも持っていた。つまり、現在のような行政区ではなく、東京市、京都市の区と共に法人格を有し(1911年(明治44年)9月市政改正勅令により正式に法制化)、1890年(明治23年)学事通達により学校設置区(当初は高等小学校、後に実業学校を設置)でもあり、中等教育と財産区を併せ持った性格の法人区であった。
・1885年 - 明治十八年の淀川洪水で大被害が出る。これにより、淀川改修誓願運動が起き、後に新淀川が造られる。
・1889年 - 大阪府下4区を大阪市とし市制施行、市制特例により市長を置かず、大阪府知事が市長職務を行う。面積:15.27 km2、人口:約46万人。
・1897年 - 第1次市域拡張[8]。面積:55.67 km2、人口:約75万人。
・1898年 - 市制特例が廃止され、大阪市庁が府庁から独立する。
・1903年 - 第五回内国勧業博覧会開催、シンボルタワーである通天閣(初代)竣工。日本初の市営電車(大阪市電)が部分開業。
・1912年 - 9月22日、暴風雨(最大風速37 m/s)により2万戸が浸水[9]。
・1913年 - 中央公会堂が竣工。
・1921年 - 住友合資会社(住友財閥)が設立される。
・1925年 - 第2次市域拡張[8]。西成郡の残余10町10村および東成郡の残余7町17村全てを編入して両郡は消滅。浪速区、西成区、港区、此花区、西淀川区、東淀川区、東成区、天王寺区、住吉区を設置して13区となる。面積:181 km2、人口:約211万人。
・1929年 - 世界初のターミナル百貨店、阪急百貨店が梅田駅に開業。
・1931年 - 大坂城天守閣再建。
・1932年 - 大正区、旭区を設置して15区となる。
・1933年 - 大阪市営地下鉄が部分開業(梅田-心斎橋間、日本初の公営地下鉄)。
・1933年 - JOBB NHK大阪ラジオ第2開局になりました。
・1943年 - 福島区、大淀区、都島区、城東区、生野区、阿倍野区、東住吉区を設置して22区となる。戦時決戦体制整備のため、大阪市東区等の法人格を持つ「区」および区会(区議会)が半強制的に解散され、53年におよぶ区・区会の歴史が消滅した(大阪市東区役所編東区会史より)。
・1945年 - 大阪大空襲。
参照:ウィキペディア「大阪市」